だっきたん小屋

主に読書記録ですが、話があちこちに飛ぶ傾向があります。

朝の日記。生きるために書くというよくわからない衝動


今日は日曜日(だったはず)


5時半ごろ覚醒。
あまりにもダルいので、横になったまま、iPhoneでいろいろ読んだり、ゲームしたり。


息子はもう起きていて、洗濯物を干してくれていた。
テレビの電源も入っている。
ニュースがずっと流れていて、そのうちあの、相模原の障害者施設襲撃の報道になった。


即座に起床。
息子は、重度知的障害者。介護施設通所をしている。
あの事件は、全く他人事ではない。


犯人は、被害者の名前を口に出しながら部屋を探して殺しにいったと、アナウンサーが伝えている。


はらわたがちぎれるような思いにかられる。


遺族の苦しみ。
亡くなったかたの痛み。


どうしたら、癒やされるのか。
癒やされる日が、くるのだろうか。


勝手な思い込みで、「殺したほうが幸せ」と決めつけられることの恐ろしさ。


犯人は、ネットにセルフィーを流していた。
その狂った価値観を支えた何かが、ネットに蔓延しているのだとしたら。


そんな言論は、たしかにちらちらと目に入る。


ここの国は言論の自由を保障されているから、「生産性のない障害者に生きる権利はあるのか?」といった問いかけをすることは、それだけに留まるのであれば、誰にも咎め立てられない。「安楽死を考えてみることも必要なのではないか」という問題提起もしかり。


そういうものをたくさん目に入れて、おかしな行動の根拠にしてしまう人が出たとしても、元になったそうした言論が罪を問われることはない。


なら、そうしたものを埋め尽くすくらい、心ある言論が増えてくればいいのじゃないか。


そんな思いもあって、書き物の量を、ここのところまた増やしている。


砂漠にスポイトで水をまくような作業だとしても。


何かをせずにはいられない。