だっきたん小屋

主に読書記録ですが、話があちこちに飛ぶ傾向があります。

内村鑑三「一日一生」メモ・十一月十一日


国立国会図書館のデジタルコレクションで公開されている、内村鑑三の「一日一生」を、一日一ページづつ読んでいます。


本書で一日ごとに引用されている聖書のことばについては、Wikisauceの文語版聖書、および、口語訳聖書を参照し、そちらに差し替えています。


また、読みやすいように、ある程度、新字新かな表記に、あらためてみています。
(目下試行錯誤中です)





十一月十一日

この故に我らは斯く多くの證人に雲のごとく圍まれたれば、凡ての重荷と纏へる罪とを除け、忍耐をもて我らの前に置かれたる馳場をはしり、信仰の導師また之を全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。


彼はその前に置かれたる歡喜のために、恥をも厭はずして十字架をしのび、遂に神の御座の右に坐し給へり。


なんじら倦み疲れて心を喪ふこと莫(なか)らんために、罪人らの斯く己に逆ひしことを忍び給へる者をおもへ。


(ヘブル人への書 第12章 1-3 文語訳)



こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。


信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。


あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。


(へブル人への手紙 第12章 1-3節 口語訳)


------------------------------------- 


我らは救わるるために何をなすべきかと問うに、ただイエスを仰ぎみんとのみと答ふるまでである。


祈祷が聴かるるも聴かれざるも、災禍(わざわい)が臨むも臨まざるも、罪が潔(きよ)めらるるも潔められざるも、ただイエスを仰ぎみるべきである。


キリスト者の信仰は、儒者のそれのごとくに内省的であってはならない。


仰瞻的(ぎょうせんてき)でなくてはならない。汚れたる自己(おのれ)を日に三度(みたび)ならで、百度(ももたび)千度(ちたび)省みたればとて、それで自己の潔まりようはずはないのである。




心のなかで、どれほど反省し、思索をめぐらしたところで、きよめられることも、救われることもないと、内村鑑三は断言しています。


苦しいときに、自分をひたすら責めていても、「倦み疲れて心を喪ふ」ばかりだということは、挫折や困難に出会った人の多くが、経験したことだと思います。




ことば


「仰瞻的(ぎょうせんてき)」は、初めてみることばでした。


青空文庫を検索すると、次のような例がありました。



しかるに旦暮仰瞻(ぎょうせん)しようという法然善恵の肖像を、武家の顰(ひそみ)にならって狩野家に頼むことをせずに、これを土佐光茂に頼んだということは、簡単にこれを出来心とのみ解釈するよりも、彼の浄土教好尚のおもむくところに従ったのだとする方が、むしろ適切な説明ではあるまいか。


原勝郎「東山時代における一縉紳の生活」 青空文庫


「縉紳(しんしん)」は、身分の高い人物のことで、ここでは三条西実隆(さんじょうにしさねたか)のこと。室町時代の公家で、「実隆公記」の著者。文化人として大きな業績を残した人ですが、歴史家であり文学者でもあった原勝郎は、三条西実隆の人生や美意識に、法然と浄土宗が大きな影響を与えたであろうと考えたようです。


「仰瞻」の用例がほかにないか、ネット検索で探してみましたが、漢文、中国語の用例がほとんどのようです。


原勝郎は、明治4生(1871年)まれ。
内村鑑三は、万延2年(1861年)生まれ。


当時の人たちにとっては、当たり前の教養として身に着けていた漢詩文から、文章語としての使用語彙となったことばも多かったかもしれません。



------------------------------------- 



引用させていただいたWikisoure、青空文庫のテキスト